カタルシス、3世紀の主題が14世紀に流行した理由。


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Andrea Mantegna
アンドレア・マンテーニャ
聖セバスティアヌスの殉教
St. Sebastian
1456-59
Panel, 255 x 140 cm
ルーヴル美術館 Musee du Louvre, Paris




聖セバスティアヌスの物語

時はローマ帝国時代。
人々はローマ神話の神々を崇拝する多神教の時代。
自らも生ける神として信仰対象であった皇帝ディオクレティアヌス帝の親衛隊長をつとめていた聖セバスティアヌスは、実はキリスト教信者であった。
それを知り、裏切られた気持ちもあったであろうディオクレティアヌス帝は、無数の矢を聖セバスティアヌスに放ち処刑します。

ところが聖人は死ななかった。

彼は息を吹き返し、またキリストの教えを口にしはじめたところ、再度つかまって今度は本当に殺害されてしまったという。

これがざっくりとした聖セバスティアヌスの伝説。



謎とアトリビュート

この聖セバスティアヌスを主題にした絵画が、なぜか14世紀後半からヨーロッパ各地で爆発的に増えていったという。
そういうのめちゃくちゃわくわくするな!

1000年以上も後になってなぜ聖セバスティアヌスの主題が流行したのか?
迫害にあって処刑されたキリスト教の殉職聖人は他にもたくさん居るというのに、なぜ聖セバスティアヌスの主題が流行したのか。

この現象の鍵は
聖セバスティアヌスのアトリビュート(描かれた人物が誰なのかという個体認識のためのアイテムや属性)である「矢」にあるようだ。

聖セバスティアヌスの主題は矢が刺さった状態で描かれる。矢が刺さっているからこそ、文字が読めないキリスト教信者たちにも描かれた人物が聖セバスティアヌスだとわかる、というわけだ。



14世紀の哀しき病

14世紀後半ヨーロッパでの大事件といえば、ペスト(黒死病)の大流行ですね。

ペストは原因もよくわからず、突如として黒く腐りはじめる病であり、むろん人々は恐怖のどん底に叩きつけられた。衛生状態も悪い当時では感染力も強く、まともな治療法もないので死亡率も驚くほど高かった。

まるで無作為に選ばれたように感染し、黒く腐ってゆくその様子は、当時の人々から見ると「神の罰」にしか思えない恐怖であった。

いたらない人類に対し、神は激怒していらっしゃる…。

神は無数の矢(=ペスト)を手当たり次第に放っているのだ。
そう考えると、善人悪人を問わず、ランダムに選ばれたようにペストにかかるのにも、精神的に説明がついたのでしょう。
神の手当たり次第の怒り、それがペストだった。



こうして3世紀の聖人と14世紀の恐怖がつながった

こうしてペストを恐れた人々は、無数の矢を受けながらも死ななかったという聖セバスティアヌスに希望を見出した。
ペストを恐れる当時の人々にとって、聖セバスティアヌスは願掛けの対象となった、ということですね。

こんなふうに現在世界の状況と過去の物語がとある部分で一致して、時間を超えて人を救済しうるというのはおもしろい。
これこそ僕は物語のはたらきだと思う。物語の、時空を超える力。いつの時代もヒトの心の救済には物語がよく効いた。



レーニの聖セバスティアヌス

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さて、グイド・レーニの聖セバスティアヌスは、三島由紀夫がこよなく愛した絵画として知られている。
三島の自伝的小説「仮面の告白」の中に、主人公の少年がレーニの聖セバスティアヌスにめちゃくちゃ性的興奮を覚えて自慰行為に浸る描写があるらしいが、それはちょっと頭がどうかしてると思う。どうかしてるからこそ三島由紀夫なのだろうけど。三島はこの絵画にある種の救済を求めたのか。私には全く解らないな。

…と、書きながら思い出したけど、そういえば私は15才の頃フランシスコ・デ・ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」に描かれた「我が子」の肢体が好きでよく画集を眺めていた。サトゥルヌスの描写は醜くて大嫌いだった。しかし「我が子」にはカタルシスがあった。

昔からこうしてヒトは自らの内的感情の救済を、絵画やら景色やら音楽やらという外部に求めるものなのかなあ。



参考文献:

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)


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